『前衛』1999年7月号掲載
建設省を追い詰めた市民の審判
                巨大開発中止を迫る市民運動と日本共産党の選挙
                 日本共産党徳島市議  塀本信之(へいもとのぶゆき)

 衝撃あたえた建設大臣の発言
 吉野川可動堰建設に関する徳島市の住民投票で、計画反対が過半数を占めれば直ちに計画は中止する・・。一九九九年四月二十七日朝の関谷建設大臣のこの発言が、関係者に大きな衝撃をあたえました。
 「住民投票条例賛成派が過半数を占めた市議選の結果から見て当然のこと。やっと市民の願いが、国を動かした。」「議会や審議委員会の結論が住民の声としていた河川行政に風穴をあけた。やっと市民の方を向いてくれた。」と住民投票条例賛成派は大歓迎しています。
 一方、条例反対派は「簡単に方針を変えてもらっては困る。市議会の促進決議を尊重してほしい。」「事実とすればけしからん。人の生命、財産にかかわる事業を住民投票の多数決で決めることを建設大臣が容認するなど許せない。抗議する。」と動揺を隠しきれないでいます。
 その後、建設推進派の巻き返しで、後退した発言も見られますが、可動堰の是非は住民投票になじまないとしていた今までの態度を大きく変えさせた意義は小さくありません。


 
<二つの審判>
 この大臣談話を引き出した、徳島市民の審判は二つあります。一つは昨年十一月におこなった住民投票条例を求める直接請求運動。なんと有効署名十万一五三五票という有権者の四十九%にも達する数が結集されました。市段階では全国一の署名率です。
 二つ目は、この住民投票条例案を否決した市議会の構成を変えたいという市民の思いを結集した市議選挙の結果です。四人の条例反対議員を落選させ、当選した新人十人中八人が条例賛成派で占め、議会の構成を賛成派二十二人、反対派十七人、不明一人と変えてしまったのです。
 賛成派立候補者二十六人の得票率は五五・一%、得票数六万六千四五六票でした(投票率五六.六七%)。得票率は、日本共産党一二.三%にたいして、公明党一一・三%、市民ネットは九・二%でした。
 日本共産党徳島市議団は、六月七日からはじまる六月議会で条例制定をかちとるべく、各会派に呼びかけています。条例反対派の巻き返しも強く、とくに条例賛成、可動堰賛成とうい公明党に、さまざまな圧力がかけられており、予断は許しません。
 可動堰推進の先頭に立っていた小池正勝徳島市長は、推進の旗振り役をやめ、第十堰建設促進期成同盟会(流域二市六町の首長で構成)の会長辞任を示唆、建設省への建設促進陳情にも参加しないという、新しい事態も生まれています。建設省も、これまでのゲート式可動堰案に加えて、洪水時にゲートを倒して、水を流す転倒式可動堰など二つの新案をちらつかせ、各地で説明会を頻繁に開催するなど、複雑な状況も生まれています。
 いずれにしても、可動堰建設という巨大開発事業を住民の力で止めさせようとする大運動です。運動に結集する多くの市民団体や市民と連携し、住民要求の実現のために力をつくす日本共産党の本領を発揮して、ねばり強く運動を展開しなければなりません。
 日本共産党は住民投票条例を求めた直請求の運動には、第十堰住民投票推進センターの一員として積極的に参加しました。選挙では、県議選挙徳島選挙区(定数十三)で念願の二議席を獲得、順位も一位、二位の上位当選という快挙をなしとげました。市議選挙でも、一議席増の五議席を獲得、議案提出権を獲得して、賛成派の勝利に貢献しました。
 市民の多数を結集した運動に、日本共産党や民主団体がどのように参加し、選挙戦ではどうたたかったのかふりかえってみます。

受任者九千人の大運動
 条例制定の直接請求の署名運動は、昨年十一月二日から十二月二日までダイナミックに繰り広げられました。
 直接請求運動で欠かせないのは、署名を集める受任者です。受任者をどれだけ多く結集できるかが運動の動向を決めます。今回の運動では約九千人が登録しました。これらの人々が、署名簿を片手に、街頭やスーパーの前に立ち、職場や家々を訪ね歩いて署名を集めました。集まった署名は十一万八千九百七十九人、選挙管理委員会の審査でダブりなどがチェックされ、有効署名が十万一千五百三十五名となりました。結果はすでに紹介したように、徳島市の有権者は二十万万八千一九四名ですから四十八・八%の市民の署名でした。

明確に反対かかげて>
 直接請求運動では、市民四人が代表世話人をつとめる第十堰住民投票の会がつくられ、そのサポート組織として団体連絡会に私たちも結集し、独自に第十堰住民投票推進センターを設置して運動を展開しました。
 第十堰住民投票推進センターは、可動堰反対を明確に押し出し、独自のチラシもつくって市民に署名を呼びかけました。事務所も借り、新日本婦人の会(新婦人)から専従者を出し、徳島市民三百五十人で組織する「可動堰反対市民の会」の役員がリーダーとして交代で事務所に詰め、生活と健康を守る会、全建総連徳島建設労働組合、徳島健康生協・とくしま民商・民青などの団体がその持てる力を発揮して運動を引っ張りました。日本共産党の居住支部も地域に連絡会を作って運動に参加しました。
 徳島市生活と健康を守る会は、専従役員の加戸悟さんを中心に千人の受任者、一万七千人の署名を目標に運動に取り組み運動の牽引者になりました。集めた受任者は一千七十八人と目標を突破、署名も、あと少しで一万筆というところまで追い上げました。十の分会の会員が担当地域に深くは入り、城西分会では二十五人の会員が地域二千戸の全戸訪問をやりきりました。加戸悟さん作曲の運動のテーマソング『吉野川の未来を』が宣伝カーから流れるなかを一軒一軒尋ねて歩くと、殆どの人が協力してくれたといいます。
 この地域のローラー作戦は住民投票の会として取り組まれた作戦です。有権者の二人に一人の署名を集める有力な武器になりました。
 県内最大の組合員数を誇る、建設労働組合徳島市協議会も四つの支部上げての取り組みを展開し、三百二十人の受任者・三千四百三十二筆の署名を集めました。ここでも地域に根ざした五百の班が力を発揮し、班長の六割が受任者になり、自分の受け持つ組合員とその家族から一人一人署名を集めました。ここでは専従者集団も頑張りました。週二回宣
伝カーを市内くまなく走らせ、期間中二回独自の街頭宣伝活動を展開し、可動堰促進派議員の近所で熱心に訴えました。
 運動を精力的に支えたのが可動堰反対市民の会の役員です。代表委員の江川誠志さんは川内地区で運動を推進し、岩見玉子さんは自作のビラを元の職場の同僚に郵送して、こつこつと署名を集め二百筆を超えました。
 特筆すべきは代表委員で、お父さんが元保守系市議の小林俊彦さんの活動です。自身も中小企業の社長として多忙というなか、吉野川を守りたいと運動に参加し、夜は得意のコンピューター操作の先頭にたって受任者整理に没頭する傍ら、居住地では近所を軒並み訪問して受任者に組織、なんとその数百五十人を超えました。地域集会も開催し、三十六人を集めて可動堰の問題点を解明、運動に弾みをつけました。
 事務局長を送り込んだ新婦人は、全ての班に受任者登録をよびかけ、子育て小組みの若いお母さんも熱心に署名に取り組んだのが特徴でした。
 結局、第十堰住民投票推進センターで集めた受任者は三千一人、署名数は二万九千八百三十八筆で、受任者数では住民投票の会全体のほぼ三十三%、署名数で二十六%を占め、運動に貢献しました。

<市民を侮辱した市議会反対派>

 これほどまでにして集められた署名に基づく直接請求を、今年二月に招集された徳島市議会臨時議会は、否決してしまいました。条例否決二十二人、賛成十六人、棄権一人(議長を除く)という結果でした。
 否決した議員は『建設省の吉野川第十堰建設審議委員会で十分審議おこなった。市民の意見は今後の環境アセスで聞くから、住民投票は必要ない』とする市長意見に迎合し、可動堰計画を強引に進めようとする県知事や建設省の方に顔を向け、本来向けるべき市民の意見に背を向けたのです。
 臨時議会では特別委員会が設置され、賛否双方の市民や学者の意見を聞くことにしましたが、可動堰推進派からは学者を出せず、出てきたのは建設省四国地方建設局長と建設省派遣の県土木部長で、この二人の官僚が『第十堰は邪魔者だ、置いておくと洪水の危険があり、人命・財産が奪われる。人の命のことを住民投票で決めるのは問題だ。元々住民は感情に左右されやすく、住民投票が情緒に動かされて非合理な決定をする恐れがある。』などと高言し、市議会と市民・住民運動を侮辱し、強い怒りをかいました。

市議会をどう変えるか
 四月の選挙は、有権者の半数の意思を踏みにじった市議会をどう変えるのかが焦点でした。
 日本共産党徳島市議団は現職が一人勇退するなか、現職三人新人二人で一議席増をめざしました。
 私たちが争点としてかかげたのは、三つでした。第十堰の可動堰計画反対・住民投票条例実現が第一点、徳島市互助会や体育振興公社の不正追及と、部落解放同盟と行政の癒着を断つ課題が第二点、それに不況克服・くらし・福祉・教育の充実でした。
 結果は前回票の一・五七倍を得票、女性の現職と新人が高位で、現職二人が中位で当選し、念願の五議席を獲得、議案提出権を得ることができました。
 県議選挙の当選とあいまって、マスコミでも日本共産党の健闘ぶりが大きく報道され、県政と市政に大きな影響力を与えることが出来ました。
 勝因は、可動堰反対、同和問題、不況打開などの政策が有権者の心をとらえ、無党派や保守層の方からも、かつてない共感がよせられたことと、三月二十六日の演説会の成功と、不破委員長の演説が参加者に大きな感銘を与え、選挙勝利の大きな力となったことがあげられます。
 それにしても、大変な選挙でした。新人の擁立が大変遅れ、発表が十二月の末、四か月間の短期決戦でした。
 加えて住民投票条例の賛成派からも多数が立候補しました。住民投票条例をともに推進した住民投票の会をバックに「住民投票を実現する市民ネット」(以下市民ネットと略称)からは五人の新人が立候補し、民主党推薦の二人の新人も住民投票の実現を訴えるなど、十四人の新人中十二人が住民投票条例賛成を表明しました。
 住民投票賛成派の現職と新人あわせて二十六人のなかで、日本共産党の五人の当選を必ず実現し、かつ住民投票賛成派を少しでも多く当選させ、可動堰をやめさせる力をつくるという複雑な選挙でした。
 このような選挙戦では、まず可動堰反対の流れを大きく加速させる世論の形成に全力を尽くすこと、そのなかで日本共産党のはたす役割を正確に訴えきることが大切でした。
 たとえば私の選挙地域からは、民主党推薦の新人二人と市民ネット二人が立候補し、直接請求の運動をともに推進した、活動家のなかからも、こうした多党派を応援する人が多くでるという、大変きびしいたたかいでした。
 ある後援会員は、『共産党から十人出たようなものだ。必死で取り組まなければ共倒れになる』と警告してくれました。
 私は、二月段階で、それまでの個人リーフレットを刷りなおし、地方政治新聞「徳島新報」号外を二種類新たに発行し、中央や県・地区発行の宣伝物とともに選挙地域にくまなくまききり、古田美知代県議候補とともに徹底的な街頭宣伝活動を展開する作戦をたてました。リーフレットや号外・ポスターや選挙はがきには可動堰反対を大きく打ち出すとともに、そのデザインを知人の若いイラストレーターに依頼、若者にも共感のもてるものに心がけました。
 個人演説会の案内をかねて全戸に電話を入れる活動にも取り組みました。私の選挙では全戸に電話をしたのは初めての取り組みでした。この電話かけには、可動堰反対をともに推進した活動家の協力も得ました。私の中学校時代の同窓生も多数協力してくれました。もちろん初めての選挙体験でしたが、実に熱心に取り組んでくれました。
街頭演説も、宣伝カーからだけでなく、ハンドマイクも多用し、路地裏まで入り込んで演説を聞いていただきました。演説のあとでの対話も重視し、握手をしながら可動堰のことと、部落解放同盟との癒着問題を手短かに語りました。
 他候補が連呼一点張りの中で、辻つじで訴える党候補の存在は、有権者から大きな共感をよびました。

市内一円にひろがったドラマ
 可動堰反対市民の会の代表委員をつとめる小林俊彦さんは、可動堰反対運動のなかで大きく変わりました。もともと保守系無所属の市議である父親の選挙運動を身近に見ていただけに、選挙のときに近所をくまなく歩くのは当然と心得る小林さんは、受任者集めを近隣全戸を対象におこないました。住民はこころよくそれに応じてくれました。
これを否決した市議会に怒りを覚えた小林さんは、日本共産党の勝利こそ局面を切り開くカギだと確信し、空白に近かった国府町で党後援会づくりを各団体の役員に呼びかけました。三月十九日に結成された後援会には、建設労働組合の活動家や有名無名の町民が役員として名を連ねました。
 選挙中も後援会ニュースを発行して元気な後援会活動を展開した小林さんは、次のように語っています。
 ほとんど軒並み署名してくれたご近所の署名を否決した市長と市議会に強い怒りが燃え上がっていました。ほとんど全軒で署名を集めていたから、選挙で後援会を作って、可動堰反対運動の核になって頑張ってきた共産党を応援することは、何の違和感もなく、きわめて当然という雰囲気が町中に発生していました。『吉野川が全国区になっとんのに、共産党落とせんのちがうで!』『ほらほうじゃ。ほんなかっこの悪いニュースが全国に流れたら徳島市の恥さらしやもんな』『ほうじゃ、皆おこっとるけんなあ』。こんな会話が署名をしてくれた家々で交わされるようになっていったのです。

 こんなドラマが市内一円で繰り広げられたのが、こんどの市議選挙でした。このようにして市内各所で可動堰反対の声がひろがり、それが日本共産党と住民投票条例賛成派を過半数当選させる大きな原動力になりました。
 それだけに、本当に市議会で条例を成立させなければなりません。実現すれば、市民の力が巨大開発事業にストップをかけるという、日本でも事実上初の大きな仕事をなし得るのす。

世論をバックに
 住民投票条例賛成の会派は、日本共産党徳島市議団が五人、市民ネットが現職の無所属議員を加えて五人、連合系の新政会が五人おり、この十五名は揺るぎありません。しかし、可動堰賛成・住民投票条例賛成という公明党徳島市議団五人の態度が揺らいでいます。
 私たちは地域で市民集会を開き、賛成議員を激励し、住民投票条例成立に向け努力をしています。
 先の小林さんのいる国府町では、市民ネットの活動家と共同し、可動堰予定地の佐野塚の人達とも一緒に地域集会が開かれます。題して「第十堰住民投票で決めよう国府の会」です。国府地域全戸に新聞折り込みで案内チラシをいれ、住民投票条例賛成を表明した二十二人の市議会議員を招待して開かれます。
 この運動をつうじ、『地域で多数派が形成されつつあることを実感している。これは快感だ。』と語る小林さんの言葉は『二十一世紀の早い時期に国民多数の合意と支持のもとに民主的改革を実現する』という展望を地域で実現する第一歩を踏み出した実感のように思います。
 今回の選挙は可動堰反対の世論の市民的広がりのなかで、ぬかりなくたたかいぬいて日本共産党が勝利し、あわせて住民投票条例賛成派も過半数を獲得するという画期的成果をあげることができました。
 なんとしても、この市民の願いを実現しなければなりません。それが市議会の役割です。
 紆余曲折はありますが、世論をバックになんとしても住民投票条例制定をめざし、ねばり強くがんばりたいと思います。
                                           (一九九九年五月十八日記)